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地図をつくらない

余生というにはみじかく、夏休みにしては長い

箸の置きどころ

松本渚「将棋めし」はいったいどこへゆくのか。

第2回を読んで、なんとなくざわざわしてしまったのであった。

 

おそらくほぼ現代を舞台にしているとおもわれる設定のうえで、主人公が女性のプロ棋士女流棋士ではない)はわかる。

彼女がタイトル戦(玉座戦)に挑戦して奪取したのもまあわかる。

ここまでが第1回。

 

そして第2回を読むと、なんと彼女も、前玉座の棋士(宝山)も、C級1組ではないか。

主人公は第1回開始時点で六段だ。そして絵を見るかぎりはかなりの若手だ。ということはおそらく、五段昇段後の勝数規定(120勝)ではなく、タイトル挑戦での六段昇段だったのだろう(第2回ではタイトル奪取により内実七段になっているはず。実際、宝山前玉座も肩書きが七段に変わっている)。

まだまだストーリー自体はあってなきがごとし段階なので、にゃんともいえないのだけれど、C級1組同士でタイトル戦を争ったというのには、作者のどんな意図がふくまれているのかなあ、と頭がこんがらがってしまった。それがざわざわ、である。

もちろん、屋敷九段を引き合いに出すまでもなく、55年組や渡辺竜王、羽生三冠など低段(および順位戦下位クラス)時代にタイトル挑戦or獲得という前例は、掃いて捨てるほどではないにせよ、けっして珍しくない。

けれど、将棋会館での出前先店舗が実名で登場するなど、ある程度リアリティを醸し出そうとしている(ように見える)漫画で、のっけから「C級1組在籍の若手2人(女性棋士ふくむ)がタイトル戦を争った」ことにぼくは蹴躓いてしまったのかもしれない。あんまり的確でないようにはおもうが、「青嶋未来or佐々木勇気里見香奈」の王座戦からはじまる物語、みたいなかんじだ。

 

これはつまり、とってもファンタスティックな設定なのだ。

 

そこに意図はあるのか。必然性はあるのか。伏線なのか。いったいなんなのだ。

ざわざわする。

これがストーリー漫画ならまたすこしちがった感想を抱くのだろうけれど、おそらくこの「将棋と食」を根幹とした一話完結系の短編連作スタイルだと、そのあたりの答え合わせは永遠にされないような気がする。

おなじ作者の「盤上の詰みと罰」も読んでいたが、どうもぼくは松本渚というひとの骨格、輪郭をうまくつかめていないままだ。ご本人がそうとう筋金入りの将棋好きであることはtwitterなどからも容易にうかがい知れるので、同好の士というか同病相憐れむ角度から好意は抱いている。うん。すっごい抱いている。だからこそもやーんとしちゃうのかしら。

 

「将棋めし」よ、いったいどこへゆく?