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地図をつくらない

余生というにはみじかく、夏休みにしては長い

8月21日

酔っ払った勢いで古本を追加注文。

 

こういう言い方が適切でないのはわかっているが、いわゆる「観る将」「将棋クラスタ」を自称するひとたちの多くは古典に弱い。現在進行形での情報、ネット上でサーチ・補完できるソースへの反射神経と分け入り方はすごいけれど、彼らは学問として、あるいは体系的な将棋史を追っているわけではない(とおもう)。

現時点ではごくごくかぎられたパイを奪い合う、承認欲求レースに見えてしまうのでぼくはなんだかしらけてしまう(もちろん某Oさんのように各地の解説会やイベントに足を運びまくりグッズを買いまくるようなひとは別格だ。いくら性格的にめんどくさそうでもその点において「ファンの鑑」としてなんの文句もない)のだが。

「観る将のレベルを測る検定とかできないかな」とか言っている勘違い野郎(おっと失礼)がいたり、ただネット上での自身のポジションを堅持するためにパッと見、良識的ながら筋違いな発言をしたり、特定の棋士を推しつつもなんだかんだ根っこにおいて将棋界に対するリスペクトのないひとだったり。そういうのはバレる。

だいたいそういうのはおっさんだ。ぼくもおっさんだが。30歳~40歳くらいのひとまわりした小さな挫折をぺろぺろする代償行為だったりするのだ。

 

ぼくもまあ、同類とはおもいたくないが、同病ではあるだろう。いや、自分ではそこまでではないとおもっているから、実際にはほとんど一緒なんだとおもう。

ぼくは学問として将棋史をつきつめたい。

そのうえで、将棋(界)にめちゃくちゃお金と時間と労力を使う。これは誓いである。

古本いくら買ってもそれは関係ないけど。

最低でも年間100万円は(それ以外、連盟や棋士や教室や催しなどに直接還元されるかたちで)将棋に投資したいんですよ。

 

笑えばいいとおもう。

もちろん、指すor観るor撮るor描く将などですてきな将棋ファンもたくさんおられるけど、くそみたいに発言だけでマウントポジションをとりたがるひとほど声が大きかったり通ったりするから、そういうひとたちと対抗できるだけの存在にいつかなれたらいいな。ただしぼくはtwitterも鍵アカ、こっそりやるだけ。表舞台には出ません。謎の存在として都市伝説みたいになれれば本望です。

 

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