附子は食わねど
疲れた。とても疲れた。
もはや鍵アカウントもないのでこういうときはこちらでうじうじするほかないのだった。
もともと、ぼく自身の生い立ちや、あと詩人という芸柄、あとはまあ、自分がへんてこなオーラを放っているのか、へんなひとはよく寄ってくる。へんなひとというのはふしぎなもので、いったい幾たび幾たり経験しても、こちらに免疫ができるということがない。
みんな(ま)ちがって(いて)、みんな(どうでも)いい。という気持ちである。
もちろんそういったひとたちもそれぞれに個性があり、めんどくささの多寡も、最低限の対話が可能か否かなども異なるのだけれど、ちょっと今回もまいった。
悪意のないひとのほうが、こたえる。
「すみませんすみませんわたくしのようなものが」と片手拝みで一発殴られ、そのまま彼方へ消えてゆかれる…いってみればこちらとしてはそういった感覚である。
ひどい。
そういったひとたちはなぜかぼくのファンが多い。
もっともたちが悪いのは「自分が知っていることは当然あなたも知っている」とこれまたどうしてだか強くおもいこんでいることだ。
「ご存知かとおもいますがわたしの知人に~」「わたしは~の孫でして」等々。
ネット上でのこと、名刺をくれなんていわないが、せめて本名なりなんなり、個人情報を開示してくれなければこちらからすればあんたはただのハンドルネームだ。
それもアイコンが顔写真だったり、ツイートや投稿のなかである程度の活動範囲や生活感を見いだせるならばまだいいのだが(とはいってもそれをサーチするのはぼくですけどね)…読者諸賢にはすでにおわかりだろうが、こういった手合い(失礼かしら)は原則そういった種類の情報を落とさない。なんならアカウントとっただけ、である。
そんなもんわしが知るかいな、とおもわず先崎先生のエッセイみたいな口調になってしまうのも無理からぬ心情であろう。
まあそういったことがあって、疲れた。
今回のひとはアカウントを削除するようなので、まあいいか、とおもいつつ、内実をあんまり詳しく書くのも気が引けるのでてきとうにぼやかしてはいるが、ネット文化への慣れとか、成熟度とか、そういうレベル以前での話なんだ。
ああ、疲れた。
でも向こう半月くらいの不幸はこれで先払いできた気にもなった。
おめでたいやつにうまれてよかった。
附子は食わねど高笑い。
平岩某みたく、いのちと衷心をはかりにかけて、毒まんじゅうに手をのばすわけにもいかないものなあ。